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最高裁判所第三小法廷 昭和30年(オ)516号 判決

上告人 松井俊一(仮名)

被上告人 村山タミ子(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人鶴田常道、同水崎嘉人の上告理由第一点について

原告が、請求の原因として、原告自身が、被告と原告の母との一回の情交によつて母が懐胎し出生した被告の子であり、その情交の日は昭和二三年一一月二四日頃であると主張した場合において、裁判所が証拠によつて両者の間に一回の情交があつた事実を認めた上、その日は右主張の日より一四日程以前に属する同年同月一〇日頃と認定しても、それが原告の母の右懐胎の原因と認められるかぎり、原告の請求の原因についての主要事実としてその同一性を害するものでないと解するを相当とする。そして、原告が右情交により懐胎されて出生した旨の原判示はこれを肯認しうるから、本件において原審裁判所が被上告人の主張と異なる日時を情交のあつた日と認定しても、これをもつて当事者の申し立てない事項につき判決をした違法があるということはできない。

同第二点について

原審が、原告の母が原告を懐胎する原因となつた右情交のあつた日を、判示のように認定することが違法でないことは前記第一点について説示したとおりである。従つて裁判所は、所論のように、この点について必しも予じめ釈明権を行使し被上告人の主張を明確ならしめることを要するものではない。そして原審の認定は、所論によつても誤りと認めることはできないから、原判決に所論のような違法はない。また所論引用の大審院判例はいずれも本件に適切ではない。

同第三点について

所論は、原判決に法令違反又は経験則違背があると主張する。しかし所論は、結局原審の証拠の取捨判断ないし事実認定を非難し独自の見解を主張するにすぎず、原審の認定に所論のような違法があるとはいえない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林俊三 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克巳)

昭和三〇年(オ)第五一六号

上告人 松井俊一

被上告人 村山タミ子

上告代理人鶴田常道、同水崎嘉人の上告理由

第一点原判決は民事訴訟法第百八十六条に違背し当事者の申立てない事項につき判決をした違法がある。

一、被上告人は「原告(被上告人)の母村山千代子は昭和二十三年十一月二十四日頃被告(上告人)より姦淫され之によつて原告を懐胎し昭和二十四年七月三十日之を出産した」ことを本訴請求原因事実とするものであること原判決事実摘示に徴し明らかである。

而るに原判決は「……昭和二十三年十一月十日頃○村地方の習慣によつて山田庄市方に亥の子の餅を贈るため、これを持参していく途中○○○郡○○村大字○○○○○○字○○○○の三又路附近で被控訴人(上告人)より姦淫され……」と認定し第一審判決を覆して上告人敗訴の判決を言渡したものである。

然し乍ら被上告人が姦淫の日として主張する「昭和二十三年十一月二十四日頃」とは同年十一月の二番亥の子の日即ち十一月二十二日以降二十四日乃至二十五日迄を指称するものであつてそれより約二週間も遡つた十一月十日迄をも主張するものでないこと左記に述べる理由により明らかである。

二、(1)  文理解釈上からしても「十一月二十四日頃」と日を示して之に「頃」を附し日時を示す場合は特定された十一月二十四日を中心とする数日を指称するものであつて之を超える範囲の期間を指称するものとは解されない。

若し十日以上に亘る範囲を指称して日時を示す場合は上旬、中旬、下旬なる語句を使用すべきであつて此の場合に日を以て特定することは全く無意味である。若し被上告人の主張する「十一月二十四日頃」との主張が原判決認定の如く十一月十日頃迄をも含むと解釈せられるのであれば原判決自体之を「十一月十日頃」と判示する要はなく「十一月二十四日頃」との記載を以て足りる筈である。

原判決が「十一月十日頃」と姦淫の日時を記載しているのは被上告人の主張する「十一月二十四日頃」には姦淫の事実が認められず「十一月十日頃」ならば認定し得ると解したが故に、換言すれば「十一月二十四日頃」との文言によつて特定される日時範囲と「十一月十日頃」のそれとが異ると解釈したが為に外ならない。

(2)  被上告人は訴状に於て原告(被上告人)の母千代子が被告(上告人)より姦淫されたのは昭和二十三年十一月二十四日であると主張し爾来昭和二十九年十二月二十日の原審口頭弁論期日迄約五ヶ年に亘り右主張を維持し右日時に於ける姦淫の存否を争点として当事者は立証を続け来つたのであるが前記昭和二十九年十二月二十日の口頭弁論期日(右は原審最終口頭弁論期日の直前の期日である)に控訴人(被上告人)は姦淫の日時を「十一月二十四日頃」と変更するに至つたものである。

而して控訴人が右主張を変更した理由はその前回の口頭弁論期日(昭和二十九年十月二十九日)に於て被控訴人(上告人)より乙第六号証(平戸測候所よりの天気回答書)が提出され被上告人に於て姦淫の日と主張する昭和二十三年十一月二十四日が雨天であり当日戸外に於ける情交関係が不可能であつた事実が立証されたが為、之を十一月二十四日頃と変更せざるを得なくなつたことに在ると推定される。

即ち被上告人は「十一月二十四日」に従前特定して主張し来つたのをその前日か翌日と改めたに過ぎないことは右変更の経緯よりして明白である。

(3)  被上告人は右の如く請求原因を変更した十二月二十日の口頭弁論期日に於て村山ヤエを在廷証人として申請し証拠調を為しているが、右証人の証言により被上告人が立証せんとした事実は昭和二十三年十一月の二番亥の子の日の餅を千代子が山田庄市方に持参した事実にあることは同証人の証人尋問調書第五乃至第一〇項の記載に照し明らかである。

被上告人(控訴代理人)は右証人を尋問する当時既に前記の如き請求原因の変更を為す予定であつたことは前項に記載した事情より察知せられるから若し被上告人に於て十一月二十四日、即ち二番亥の子の日(十一月二十二日)の二日後に二番亥の子の日について餅を配りに行く際生じた事件として主張して来た従前の主張事実を根本的に改め原判決認定の如く一番亥の子の日(十一月十日)の餅を持参する際に生じた事件と主張するか若しくは一番亥の子の日迄をも含めて姦淫された日と主張するのであれば右証人尋問の際必ずや此の点を明確にせんとする筈である。

然るに前述の如く依然として二番亥の子の日の餅を千代子が配りに行つた点を強調し、一番亥の子の日の餅のこと又は一番亥の子の日の出来事については何等尋問されて居らない。此の点よりしても被上告人の主張する「二十四日頃」とは二十四日を中心とする数日の期間を指称する意であり決して一番亥の子の日迄をも含めて主張するものでないことが明らかであろう。

(4)  更に被上告人は前記の如く「十一月二十四日」頃と請求原因を変更した後同日田中一夫を証人として申請したのみで他に証拠方法を提出することなく次回である昭和三十年二月十七日の口頭弁論期日に於て弁論を終結している。

被上告人は、第一審以来昭和二十九年十二月二十日の口頭弁論期日に至る迄約五ヶ年間に亘り「十一月二十四日に母千代子が姦淫せられた」との主張事実を立証する為延十七人の証人を申請しているが若し従前の「十一月二十四日」との主張を二週間以前の十一月十日と根本的に変更するのであれば更に此の点につき立証を為す筈であり僅かに田中一夫一名の証人尋問を以て弁論を終結せしめることは弁論の全趣旨に徴し到底考えられない。(被上告人は上告人と母千代子が関係したのは一回のみであることを自ら主張するのであるから十一月二十四日を十日と変更するのであれば二十四日としての主張を立証し来つた従前の証拠方法を打消し新に十日の日に姦淫せられた点についての立証を為さねばならない)

(5)  しかのみならず前記田中一夫の訊問事項を見るに「三、証人方に松井方から昭和二十三年十一月二十二日から同月末迄の間に酒を取りに来たことがあるか」との記載が存する、右訊問事項によつて被上告人が十二月二十日の口頭弁論に於て変更した「二十四日頃」とは十一月二十二日以降(十一月二十二日が二番亥の子の日であることは乙第五号証による立証を俟つ迄もなく顕著な事実である)を指称するものであることは決定的である。何故ならば被上告人は右証人により上告人が右田中一夫方に酒を取りに行く途中に於て被上告人を姦淫したという主張(訴状請求原因御参照)を立証せんとしたものであるからである。而して証人田中一夫は昭和三十年二月十一日○○簡易裁判所において右尋問事項の問に対して、調書六項の通り証言し、さらに控訴代理人の問に対して、第一審の際の証言(昭和二十三年十二月二十四日松井の息子に酒を渡したという帳簿があつたこと)を確認しているに過ぎず一番亥の子の日である十一月十日頃のことに関しては何等の尋問もなされておらず又証言もなされていない。

(6)  被上告人は原審口頭弁論終結後提出した「弁論に代る準備書面」第二に於て「被控訴人は控訴人の母村山千代子と肉体関係を持つたものである。右の事実は当審の村山千代子の尋問の結果十分である。その日は昭和二十三年十一月二十四日であつたかどうかについては関係人の記憶に明瞭ならざるところがあるが、その前後頃であつたことは疑うことができない。天候については○○で降雨であつても相当の距離がある○○では降雨がないことも稀ではない」と主張している。

右被上告人の主張によつても「二十四日頃」との主張が二番亥の子の日以後を指すものであり一番亥の子の日である十日迄をも含むものでないことは疑問の余地の存しないところであろう。

三、前記(1) 乃至(6) に述べた点より明らかな如く被上告人の本訴請求原因を敷衍して述べれば「被上告人の母村山千代子は○村地方の習慣により十一月二十二日の亥の日を祝つてついた餅を同日以後二十四、五日頃迄の間に親戚に当る山田庄市方に持参したことがあるが、その際途上に於て上告人より姦淫せられて被上告人を懐胎し翌二十四年七月三十日出産したと謂うにあり、之に対し原判決は何等当事者の主張しない十一月十日頃(即ち一番亥の子の日頃)被上告人が千代子を姦淫したと認定したのであつて右は正に「当事者の主張せざる事項」につき判断した場合に該当し後記判例(註一)に照して破毀を免れないものである。

註一、 当事者が売買完結の意思表示を為したりと主張したる期間以外の日に於て其の意思表示ありと認定したるは不法なり

原判決事実摘示及び原審口頭弁論によれば被上告人(被控訴人)は原審に於て売買完結の意思表示を為し得る時期は大正六年十二月二十一日よりにして終期の定なく被上告人は右約旨に基き大正六年十二月二十一日より大正七年五月下旬に至るまで屡々売買完結の意思表示を為したる上代金八十円を上告人(控訴人)に提供して所有権移転登記手続を求めたりと主張したるものにして大正七年七月二十六日に於て売買完結の意思表示を為したりと主張したる事跡なく上告人も亦斬かる主張を為したること〔なきこと〕明らかなり、故に裁判所は須らく被上告人が果して大正六年十二月二十一日より大正七年五月下旬迄の間に売買完結の意思表示を為したるや否やを判断すべきものにして若し其期間内に売買完結の意思表示を為したることなしと認めたるときは被上告人の請求を理由なしとして棄却せざるべから〔ざるものとす、〕『ず』然るに原裁判所が被控訴人(被上告人)主張の時期に於て〔該〕『完結の』意思表示ありたることは之を認むべき資料なきも甲第一号証によれば被控訴人が大正七年七月二十六日〔売買完結の意思表示を為したることを認め得べしと説明し当事者の主張せざる大正七年七月二十六日〕に該意思表示ありたる事実を認定したるは民事訴訟法の基本たる当事者処分権主義の原則に違反したる裁判にして不法なるを免れず、被上告〔代理〕人は原審に於て大正七年七月二十六日代金を供託し同日二十七日供託の旨を上告人に通知したるを以て被上告人は原判示の日に売買完結の意思表示を為したる趣旨の陳述をなしたるものなりと答弁すれども代金の供託は売買完結の意思表示を包含するものと云うべからざるを以て被上告人が斯〔か〕る陳述を為したるものと謂うことを得ず故に其答弁は理由なし然らば上告論旨は理由あり原判決の全部は破棄を免れず。

(大審院、大正八年(オ)第六三五号同年二月十七日判決法律新聞一六三六号一八頁)

注―〔 〕内は、右引用の法律新聞登載の判決文により補充したものであり、『 』内は、右判決文にないものである。―家庭局

第二点原審には民事訴訟法第百二十七条に規定する釈明権の行使を怠り審理を尽さずして判決を言渡した違法が存する。

一、第一点に於て詳述する如く本件に於て被上告人が姦淫の日として主張する「十一月二十四日頃」とは十一月二十二日以降を指称するものであること明らかであり裁判所は右主張と異る判断を下し得ないものと思料するものであるが、仮に原判決の如き事実認定が訴訟法上可能であるとしても、少くとも第一点第二項に記載せる諸点並に弁論の全趣旨に徴すれば被上告人の「十一月二十四日頃」との主張を上告人に於て十一月二十二日以降を指称するものと解釈していたものであり又かく解釈したことは前記の諸事情よりして何等過失が存するものとは考えられない故に原審が若し一番亥の子の日である十一月十日頃に姦淫の事実の存在を認定せんとするのであれば宜しく釈明権を行使して被上告人の「十一月二十四日頃」との主張が具体的に何日から何日迄を指称するものであるかを明確ならしめそれに対応して防禦の方法を講ずる機会を上告人に与うべきである。然らずんば認知の訴を提起された被告は原告出産の日より逆算し懐胎可能な期間の全部に亘り情交関係の存しないことを立証せねばならない危険を伴うこととなる。

認知の訴に於ては原告は被告が原告の母と懐胎の原因となつた情交関係を持つた日時を主張し立証せねばならぬことは判例学説の一致するところであり、特に本件の如く争点となつた被上告人の母千代子と上告人との情交関係が一回のみの異常な機会に限定せられて居る事案に於てはその日時は最も重要な争点であるから、これを明確ならしめて当事者双方に立証を尽さしめることは裁判所の釈明義務である。(註二)

二、若し原判決認定の如く「十一月十日頃」即ち一番亥の子の日及びその二、三日後上告人が母千代子を姦淫したということをも被上告人において主張しているものであることを上告人において知り得ていたならば、上告人はこの点につきこれが反証を挙げ得た筈である。(註三)

本件の如く上告人が一回も被上告人の母と肉体関係を持つたこともなく、又交際をしたこともないと主張している場合に、自己の主張を立証する方法としては、被上告人の主張の日時における上告人の行動が被上告人の主張に合致しないことを立証することがその中心になることは謂うまでもない。

然るに上告人は原審の判決言渡当日まで被上告人が、二番亥の子の日の後に、その母が姦淫せられたという主張の外に、その二週間以上も以前である一番亥の子の日又は二、三日後にその母千代子が姦淫せられたという主張がなされているものとは思いもかけなかつたのである。

三、人間の受胎可能期間は一月経週期においては一回であり、その受胎期は通常八日間又は九日間であるとされている(萩野説註四)従つて、受胎の日として十一月二十四日頃と主張せられた場合において医学上の常識を以てしてもその月経周期における受胎可能期間は十一月二十四日を含む前後八、九日間に過ぎない。従つて、十一月二十四日頃母千代子が一回姦淫された結果受胎されたと主張される場合には、特に明確な主張がなされない限り上告人が、右主張の中に二十四日を遡ること十五日にも及ぶ「十一月十日頃」受胎されたという主張は含まれてはいないものと解するのは当然のことと謂はなければならない。

四、然るに原審は控訴人(被上告人)の十一月二十四日頃懐胎されたという主張につき「十一月二十四日頃」が何日から何日までの間を指すものであるかを釈明することなく、突如として上告人が主張されていないものと信じ何等反証の手段も講じていない十一月十日(一番亥の子の日)頃上告人が被上告人の母千代子を姦淫したという事実を認定しているのである。

原判決は結果的にみれば、十一月二十四日の前後二、三日間に上告人が被上告人の母千代子を姦淫したことがないという上告人の主張が立証されたことを認めながら、上告人が前述の如き事情から何等防禦の機会を与えられていない日時に姦淫及び受胎の事実を認定したのであるから上告人は全く不意打に逢つたも同然である。かかる審理の経過に於て上告人敗訴の判決の言渡される時は上告人をして、裁判所は弁論主義に則り、可能な限り当事者双方に攻撃及び防禦の手段を尽さしめた上公正な判断を示す機関であるとの信頼すら失わしめる結果となるであろう。

五、原審が被上告人主張の日に関し釈明権を行使せずひいて上告人をして何等防禦の手段を講ぜしめることなく、上告人の一身上最も重大な影響を及ぼす認知請求事件において上告人不測の日時における姦淫及び受胎の事実を認定したことは甚だしく釈明権の行使を怠つたものと謂はざるを得ず右は明らかに訴訟手続の法令違背乃至審理不尽の違法あるに帰し、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから原判決は破棄せらるべきである。

註二、

〈1〉 凡そ当事者の主張は其権利主張に適合する事実上の主張あるものと解すべきは正当とする所のみならず若し多少にても疑義の存するところあらんか宜敷釈明権を行使して其主張を明白ならしめ以て審理裁判を為す可き筋合なり。

(大審院、昭和七年(オ)第三三一九号昭和八年七月十五日判決)

(2)  凡そ当事者の事実上の陳述は概ね其主張を貫徹せんが為めに為されるものと解するを相当とするが故に陳述にして多少なりとも不明なるか又は疑の存するときは之を釈明して真意の存するところを明らかにし裁判の資料と為さざるべからず。

(大審院、昭一三(オ)第一四四二号同年一二月二八日判決全集六巻三号二九頁)

註三、

被上告人は「被上告人の母千代子が北松浦郡○○村○○○○○○○免字○○○の三又路附近で田中一夫方に酒を取りに行つていた上告人に姦淫された」ことを立証せんとしていたのであるが上告人が昭和二十三年十一月十日乃至十二日頃田中一夫方に酒を取りに行つたことがないことは別紙添付の参考資料等により立証することができる。

註四、

医学博士古畑種基著、法医学、昭和二十三年十月五日南山堂書店発行、一四九頁、一五〇頁

III 受胎期

婦人の受胎期とは、月経の間に於て性交によつて妊娠を成立せしめ得べき期間を言ふのであるが、人類における受胎期間に就いては、従来知る所がなく何時でも受胎し得るものと考えられていたが、最近に於ける荻野(久作)、Knaus等の研究によつて人類に於ても生理的に受胎可能の時期と不妊の時期とがある事が分明するに至つた。一九二九-一九三〇年Knausは新研究方法に依つて、婦人の排卵期は月経周期が正しく二十八日型の婦人に於ては、月経開始日より算へて月経後十四-十六日である事を確かめ、この事実より婦人の受胎期は、月経周期二十八日型の場合には月経開始十一-十七日の七日間であると結論したが、一九三一年荻野の学説を考慮して、月経期間が二十六-三十日を移動する婦人に於ては、婦人の最も受胎し易い期間は月経開始後九-十七日の九日間であるとした。Knausの研究は従来の研究に比して優れているが、荻野の説は更に勝つている。然し両者の意見は殆ど一致して居り、現今ではOgino-Knausの説として認められている。

荻野の受胎期

荻野は一九二四年始めて婦人の排卵に関する研究を発表し、甚しい病的の場合を除けば、月経周期の長短に拘らず、排卵期間は次回月経前第十二-十六日の五日間であるとした。換言すれば不受胎の場合には月経は十三-十七日目に来潮する荻野の説に従へば、婦人の受胎期は次回月経前第十二-十九日の八日間で第二十-二十四日の五日間には稀に受胎するに過ぎない。然し乍ら次回の月経周期をよく調査し、最小周期と最大周期を定め、次の如き式に従つて受胎期を示した。

受胎期の初日=10+(最小周期-28)

受胎期の終り=17+(最大周期-28)

荻野の研究によつて、排卵期は次回月経前十二-十六日の五日間である事が判明したが、其の五日間の中、荻野に依れば次回月経前十五日目に排卵の起る事が最も多いから、受胎率の最も高いのは次回月経前十六日目の性交であると言つている。

Tschirdewahnは一九五一年月経と月経との間には中間痛なるものがあり、之が排卵に相当すると報告した。中間痛とは月経と月経との間に於て数時間持続する下腹痛であつて、毎月定型的に反覆するものである。我国に於ては、安藤は大正十二年六月中間痛の数例を報告し、其後Knaus,Smulders,柴生田、荻野等も観察している。

荻野に依れば中間痛発作即ち排卵痛発作は、四十六回中四十五回は次回月経前第十二-十六日までの五日間に分布し、就中十五日目に起るものが多いという。(以下略)

第三点原判決は証拠によつて事実を認定せざる違法若しくは事実認定に経験則に反する違法が存する。

一、凡そ胎児の胎内に存する期間は生産児(正常の懐胎期間経た分娩児)の場合に於て二百八十日(一ヶ月二十八日として十ヶ月間)であることは医学上顕著な事実であり又嬰児は通常の場合生産児であることも公知の事実である。従つて特段の事情なき限り生産の日時より逆算して二百八十日を中心とする一週間乃至十日間の期間内に於て出産児が懐胎されたとの事実上の推定が為さるべきである。

従つて右の懐胎の推定期間以後の日時に於て懐胎の事実を主張する者は出産児が早産児であることを立証せねばならぬことは立証責任分配の原則よりして当然である。

本件に於て被上告人の出産月日が昭和二十四年七月三十日であることは原判決の認定するところであり従つて村山千代子が被上告人を懐胎したのは昭和二十三年十月二十三日を中心とする一週間乃至十日の範囲内であることが推定されるから、原判決が右の推定懐胎期間以後である同年十一月十日頃に懐胎の事実を認定するのであれば被上告人が早産児であることを証拠によつて認定しなければならない。

二、此点に関する原判決の認定をみるに原判決は

(イ) 被上告人の母村山千代子が昭和二十三年十一月十日頃上告人より姦淫されたこと

(ロ) 被上告人は元来低能であつてそのため家庭の躾も厳格で他の男子と交際するような女性ではなく、いわんや当時他の男子と全く情交関係がなかつたこと

(ハ) 被上告人と上告人とはその指紋、頭髪、顔容が類似し、ABO式血液型からみて両者が親子であることに矛盾がないこと

の三事実を以て被上告人が上告人の子であることを認定しているに過ぎず被上告人が早産児であることの認定は為して居らない。

尤も原判決認定の如く被上告人の母千代子が上告人以外の男子と情交関係がなかつたことが絶対的に認定されるのであれば(イ)(ロ)の二点を以て被上告人を上告人の子であると認定することはできよう。然し乍ら凡そ事実の不存在を絶対的に立証することは困難であり、従つて事実の不存在は絶対的に認定し得るものではない。単に事実の存在を立証できない限り該事実の不存在が一応推定されるに過ぎない。

況や男女の情交関係は秘密裡に行われるものであること、又後に之を知り得た者と雖も口外しないのが当然であること(右は証言の如く供述を義務付けられている場合でも異るものではない)を考えるとき僅か数名の証人の「被上告人の母は当時男子との交際等なかつた」旨の証言を以て前述の如く被上告人の母千代子が上告人以外の者との情交関係が全く存しないことを認定し、上告人に於て被上告人が生産児であることを積極的に立証する為提出した乙第一乃至第三号証を排斥し(右は医師、助産婦という専門家の証明書であり原判決が述べる如き理由を以て軽々に斥けられるものではない)何等の根拠を示さずして被上告人を(特異な事例である)早産児と認定したことは経験則に反するものがある。

三、原判決は被上告人の母千代子は上告人以外の男子と情交関係を持つたことは全く存しないと確信したが故に前記の如く公文書に等しい証明書による上告人の立証(被上告人が生産児であることについての)を排斥し被上告人が早産児であつたかも知れぬと考えたのであろうが末尾添付の証明書(右が真正なものであることは印鑑証明により明白である)によつて明白な如く実に被上告人の母村山千代子は以前に於て男子との情交関係を持つたことは勿論妊娠の結果堕胎した事実さえ存するのである。

上告人は右の事実は知悉していたが故に千代子との関係をうわさされていた○村の青年を証人として申請したが期待する証言が得られず(立証事項の性質上寧ろ当然であるが)剰え逆の心証を原裁判所に与える結果となつたのである。

最後の頼として大川医師をして千代子が堕胎に来たことを証言せしめんとしたのであるが同医師が右証言をすることは自らの犯罪事実を自白することになるので同証人が之を為し得なかつたのも洵に巳むを得なかつたのである。一面被控訴代理人(上告人)に於ても上告理由第一、二点に於て述べた如く本件の争点が「十一月二十四日」を中心とするその前後の日時に於ける姦淫の事実の有無にあり、右事実の不存在については立証し得たこと並に被上告人が生産児であることについても乙第一乃至第三号証によつて立証し得たと考えたので千代子が他の男子と情交関係を持つたことについては絶対的に立証の要はないと判断し上告人勝訴を確信して弁論を終結した次第である。

然るに意外にも上告人敗訴の判決があり、原判決事実認定の根拠が前述の如く被上告人の母千代子が上告人以外の男子と情交関係を持つたことが皆無であるとの確信に帰すると考えられたので大川医師に末尾添付の如き証明書の作成方を懇請したところ、同医師は上告人の一生に関する問題でもあり意を決して自己の処罰を覚悟の上、被上告人の為之を作成し与えたものである。

大川医師が原審にて証明書記載の如き事実を証言していたならば少くとも原判決が「いわんや当時他の男子と全く情交関係がなかつたこと」との認定を為さなかつたのは勿論姦淫の事実の有無についても心証を異にしていた筈であり仮に姦淫の事実につき心証を得ていたとしても姦淫の日時を出産の日時との関係よりして右姦淫事実と被上告人の懐胎を直ちに結びつけることはなかつたであろう。

四、常識的に考えても只一回の性関係(それも強姦という異常な状態に於ける)によつて妊娠することは極めて稀な場合である。従つて此の場合女子が他の男子と性関係を持続していることが疑われるのであれば(更に進んで言えば女子が処女でない場合は)仮に正常の懐胎期間を経て出産の事実が生じたとしても当出産児が強姦の際懐胎したものと判断することにつき何人と雖も躊躇せざるを得ないであろう。況や右の性関係事実の有無が極めて疑わしい場合であり、且又八百匁もある嬰児が正常の懐胎期間を経ず生れた場合に於ては最早該嬰児を他の男子の子であると考えるのは経験則の然らしめるところである。

五、之を要するに本件に於て被上告人が上告人の子であることは日常の経験則上乃至医学上極めて稀にしか起り得ない現象が連続した場合にしか考えられぬものであり、かかる稀な現象を認定する場合には何人と雖も之を首肯し得るに足る証拠を示さなければ到底証拠を以て事実を認定したものとは謂えない。

原判決は強姦という刑事々件に於ても最も事実認定の困難な事実を原判決自ら低能と認めている被害者の供述のみを以て然も当事者が何等主張しない日時に認定し、更に八百匁もあり生産児としか考えられない被上告人を母千代子が頑健で地腹が太きかつた等という理解に苦しむ如き理由を以て早産児であつたものと推測して被上告人が上告人の子であると判断しているのであり、かかる事実認定は採証の法則乃至自由心証の範囲を逸脱したものと謂わざるを得ず、此点に於ても原判決は破毀を免れないものと信ずる次第である。

以上

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